史跡 生野銀山

1200年の歴史とロマンを訪ねに「生野銀山」に行ってきました。
夏休み期間中でもあり、たくさんの人で賑わっていました。

807年に発見されたと伝えられ、室町時代の1542年には山名祐豊時代に銀鉱脈の本格的な採掘が始まりました。織田・豊臣の時代を経て、江戸幕府が「銀山奉行」を設置。その後「生野代官」が置かれ、やがて生野銀山は最盛期を迎えます。
明治元年、政府直轄鉱山となった生野鉱山にフランス人技師ジャン・フランソワ・コァニェが着任し、軌道や捲揚機の新設など数々の先進的施策により、めざましい近代化を成し遂げました。
明治22年には宮内省御料局の所管へ移され皇室財産になりました。次いで明治29年に三菱合資会社に払い下げられ、国内有数の大鉱山として移行しましたが、昭和48年に閉山し、長い歴史に幕を閉じました。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350キロメートル以上、深さは880メートルの深部まで達しており、採掘した鉱石の種類は70種以上にも及んでいます。


鉱山師 「ジャン・フランソワ、コアニエ」氏
1868年、明治元年10月、明治政府お雇い鉱山師(お雇い外国人第1号)として、生野に到着。帰国する明治10年まで、生野銀山の建設計画と立案建議し、採鉱、選鉱、製錬の機械化を進め、日本有数の近代鉱山として発展の基礎を完成された人物です。





さて、いよいよ「金香瀬抗口」へと進み見学することとします。




フランス式の石組で築造されたアーチ型の抗口にも開鉱当時の面影が残っています。










坑道の入り口に案内表示板があります。温度計が14度を指していました。長袖の上着を着用して入らないととても寒いです。覚悟して見学して下さい。
コースは「江戸時代採掘ゾーン」「近代採掘ゾーン」「捲揚・エレベータゾーン」に分かれています。









江戸時代の採掘(狸掘り)










近代採掘ゾーン