出石の殿様ー山名氏と仙石氏ー

今日も寒い一日でした。今年は当地方は雪が少なく助かっていますが、関東・東北地方は大変な雪で混乱しているようです。お見舞い申し上げます。
さて、今日は但馬国府・国分寺館で「出石の殿様ー山名氏と仙石氏」の企画展を見に行きました。

 豊岡市出石町は、出石城主仙石政明にゆかりをもつ皿そばや出石焼で知られる但馬の小京都
出石には、南北朝から江戸時代にかけて、有子山城や此隅山城、出石城など多くの城が築かれ各城主は但馬の中世・近代史の中で、大きな役割を果たしてきました。
但馬における中世・近代の支配者「殿様」の実像を、考古資料や歴史資料、工芸品などから戦乱の時代を生き抜いた殿様の姿から、動乱期の豊岡・出石に思いを馳せてもらうための展覧会だそうです。

「但馬出石御城下絵図」有子山城と出石城、その城下町が描かれています。

室町時代には、山名祐豊が標高321mの山上に豪壮な有子山城を築き、守りを固めていました。江戸時代に入ると、小出吉英が有子山の麓に出石城や城下町を築き、その後は信州上田藩より仙石氏が、幕末まで藩主を務めました。



山名氏は、室町幕府屈指の有力守護で、山陰を中心に強い勢力を持っていました。14世紀には、伯耆国鳥取県)を拠点に但馬など11カ国の守護を務め、全国66カ国のうち6分の1を占めたことから「六分一衆」と称され、室町幕府最大の勢力を誇りました。出石には、此隅山城や有子山城など、山名氏が築いた山城が多く残されています。



仙石家の紋所・・・仙石家を代表する紋所は、「永楽銭紋」永楽銭紋は、織田信長より与えられたと言われています。他に「丸に無の字」「五三桐」「桔梗花」「桜九曜」などが知られています。仙石氏は、豊臣秀吉などに仕えた美濃国の豪族で、江戸時代には信州小諸藩と上田藩の藩主を務めていました。宝永3年(1706)4代仙石政明は、出石へ所替の命を受け、出石藩の藩主となりました。政明以後の藩主は、政房、政辰、久行、久道、政美、久利と続き、明治時代までの約200年間、仙石氏が出石を治めていました。

仙石家旧蔵品・・・左から、金団扇、刀筒、塗空穂(仙石家の紋所である永楽銭紋が各所に見える)