豊岡を歩いた伊能忠敬


但馬国府・国分寺館 加賀見館長による講座を受けました。 
主な内容は
  1.伊能忠敬と測量の旅
  2.伊能図と「測量日記」
  3.伊能図はなぜ作られたか
  4.伊能忠敬の見た但馬 
  5.伊能忠敬を支えた人たち
  6.伊能忠敬が遺してくれたもの

<測量の旅>
第一次測量から第十次(1800年〜1816年)まで行われ、第五次からは正式に幕府の事業として行われた。第九次測量は、70歳を超えた忠敬を心配する周囲の反対により不参加。
但馬には第五次と第八次に亘り測量。

伊能忠敬は、17年(3753日)にも及ぶ測量の間、1日も欠かさず日記をつけていた。
1800年(寛政12)から1817年(文化14)まで、日記の合計は51冊にものぼる。
●この日記をもとに、後に忠敬が測量に関する部分を抜き出して清書したのが「測量日記」 で、約3000ペ−ジになる。
●日記には天候、出発の時刻、どこを測量したか、宿泊先、来訪者などを詳細に記している。


<測量の道具>
伊能忠敬の測量隊が使った道具は、たくさんありました。
●これは最もよく使った「小方儀」です。角度を測るために使われました。
●距離を測るための間縄(けんなわ)と鉄鎖(てっさ)
●半円方位盤〜水平に置いて山や島の正確な方位を測るのに使われました。
●小象限儀〜斜面の角度を測るのに使われました。

<スライドによる説明>

但馬各地を測量した場所の写真を見ながら、ここを歩いて測量したのかと新たな発見をすることが出来ました。
伊能忠敬が地球の大きさを知りたいと考え、江戸から蝦夷(北海道)の東沿岸部を測量したことが、大きな業績に繋がったという事に感激しました。